インスタント感覚がもたらしたもの。

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数日前に触感や重さが人の判断の基準に変数として関わる話を書いていた。さて、だとするならば現在何が起こっているかは明白だろう。重さが判断の重さに影響するのであれば、データーという重さの存在しないものに関して抱く重要性というものも自ずと定まってくるのではないだろうか。持ち運びもUSBのストレージやCD・DVD、持ち運びさえせずにネット上に送信するだけなど・・・となれば、人間が体感的にそのものに重要性を抱くことはなくなる。それにより、様々な問題が起きる必然だろう。これは簡単に推察が可能だ。当然ネット上に溢れている、様々に法的な問題のある情報もその延長線上にあるだろう。 お手軽なインスタントなものを便利に使っているうちは良いのだが、それが日常化してしまうと「作るのには本来は手間がかかる」ことが忘れ去られてしまう。それが現実の重さとの乖離の始まりかもしれない。料理などは、インスタントと比べれば多少は手間がかかる。でもそれは「必要な手間」であって手間を掛けることで良いものが生まれる機会が生まれるものだと思う。失敗もあるわけだから、それらの情報も込みで人間はデーターを蓄積していく。それらの情報に「意味のないものはなく」いずれは統合された情報のデーターベースとして判断の基準の一部を形成するのだろうと思う。それが情報の重みなのかも知れない。とすれば、インスタントなのもを利用することで、それらの情報を集めそこなってしまう・・・結果的に本当に良いものを判断する経験値が低いままということも起こりうるだろう。人間の判断というのは、その人の抱え込んでいる情報量とその情報がいかに関連付けがされているか?ということが重要で、時には自分の思考の外側で働いたように見え、直感やヒラメキと呼ばれるものとして現れるのではないだろうか。一見希薄に見える関連性を見出すには、巾の広い情報を持つ方が圧倒的に有利だと考えるからだ。そういった中から、驚くような発見や発明というものが現れてくるのではないだろうか。文字や画像だけの情報では知ることができない、情報というものの方が遥かに多くそれは、受動的に情報を受け取るだけでは得ることができない。自分でやらなければ、意味のないものというのも多いだろう。 現在の様々な状況を見ていると、重要な判断までも軽いものになりがちなのではないかと不安になる。だからこそ、わたしは現実に触れるもの重さのあるものにこだわりたいと思う。
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