遡って節分の話。
2月3日は節分。節分というと豆まきは、私の仕事。暗くなってから、豆まきを始めるのです。最初の頃は暗いのが怖くて豆まきは祖母と一緒だったように思い出される。
はて、家の中で豆をまくのになぜ暗いのかと思う人もあるかもしれない。田舎の家というのは、母屋、離れ、物置、釜屋、便所に別れていたのだから・・・特に釜屋と物置には明かりさえない。なにしろ、東京からは距離だけは近くとも、最寄りのJR(当時は国鉄)の駅まで車で1時間近くかかろうかという場所。霞ヶ浦のすぐ側で水郷のど真ん中、人間の百万倍はカエルがいるような場所のこと、自分の家の外燈を消せば月明かりでもなければ随分と暗い。弱っちい私にとっては、暗い中にそれこそ鬼が蠢いてでもいたように見えたのだろう。なんとも頼りない「鬼は外」だったにちがいない。鬼も笑っていようか・・・
以来、節分には必ず豆をまいている。
小さい頃の節分の豆は、本当に炒っただけの大豆で年の数だけ食べるのに苦労するほど固かった。最近の豆まきの大豆は随分とうまくなったと思う。今どきの子どもは、はたしてあれを食べるのだろうか? 私にしても、豆腐、湯葉、油揚げ、呉汁、オカラは好物だが・・・あの炒り大豆を年齢分だけ食えと言われたらやはり閉口しそうだ。
節分と言えば、柊鰯は東京ではもう見かけないが、子供心に「よく解らんもの」の一つだった。門のところに柊の枝と鰯の頭がささった縄を張るわけだが、案外半端な高さにするものだから、なんでその高さなのか聞いたことがあった。その時の答えは確か「人間の頭より少しだけ高めにすると、丁度鬼の目の高さなんだ」とか言われたような気がする。子供心に「鬼にも頭を下げるぐらいの知恵はあるだろうから・・・暗くなってから来るからなのか?・・・よくわからん???」と思ったのだが、今にして思えば、鬼にしても柊鰯にしてもシンボライズされたものだからそういうモノなのだ。それより、「鬼にも・・・」と考えた当時の私にとって、鬼というのは半分実在の物だったのだろう。
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