記憶のはなし。

友人に変わった記憶を持った人が二人いる。一人は一歳時のことを鮮明に覚えていて当時の家の間取りを話したら親に驚かれたという話。記憶というのは、まず自分と外界の区別ができていなければ定まらないのもだと思う。一歳児にとてもあることではないと思うのだが・・・自己というものと外界が分離出来ていて成り立つもので家の間取りを覚えている=空間認識もあるということ・・・勝手な推察だが、空間認識は多分行動範囲が広がらなければ芽生えることさえ無いのだろうから、O氏は異常に早熟な子供だったのかも知れない。そして、もう一人A女氏。内容は家の間取りを覚えていたという全く同じ話なのだが、この話・・・少し毛色が違う。家族で昔住んでいた家の話になって「そうそう、間取りは・・・だったよね」と話したところ、「まだ,生まれてなかったでしょ・・・なんで知ってるの・・・」さらに話を進めていくとA女氏は二人姉妹なのだが、二人の間に女の子がいたのだけれど生まれてすぐに亡くなったか流産だったかなのだそうだ。本人曰く「ああっ、あたしはこの家に生まれてきたかったんだ。この家じゃなきゃ嫌だったのか・・・」「その子はあたしだったような気がする」という話。ここで、「ありゃ???」と思うはず。記憶などあるとは思えないない状態で記憶がある?なのか認識できたとは思えない外界の記憶なのだ。ただその話を聞いたときの話の印象が、どうにも視点が空中を移動しているかの様だったのを覚えている・・・それは,話を聞いたわたしの印象でしかないので,本当のところどのような記憶なのか判らないわけだが,記憶が頭の中だけにあるものでもなさそうな話で非常に面白いと思う。 わたしは普通で、印象に残っていることしか・・・子供の頃のことは覚えていない。婆ちゃんにおんぶされて散歩しながら眠っていたこと。一時期預けられていた川のすぐ横の小さな家。そのおばちゃんを、浮島のおばちゃんと呼んでいたこと。その家の外でおじちゃんと入ったドラム缶風呂。多分3〜4歳の記憶が限界だろうと思う。わたしにとっては、なんともノスタルジックな記憶で少し感傷的なバイアスがかかっているのかも知れないが大切な記憶だ。 二人の友人の話を聞いてしまうと、もっと前の記憶や細かな記憶がどこかにあるのかも知れないなと思ったり・・・しかし、思い出す必要もないから出てこないのだろうとも思ったり・・・ わたしとしては、思い出したいことがあるとき頭をゆすってみたり傾けてみたりで、甚だ残念な記憶力だと思うのだ。
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