時間感覚

例えばバイクでこけたとき、ゆっくり景色が傾きアスファルトの路面が近づいて自分が滑って行く全てがスローモーションに感じられる。似た体験した人なら判るだろうと思う。感覚的には、インプットされる情報から全ての脳の処理能力自体が一時的に高速化するのか?などと思ってはいたが・・・プロセスは微妙に違っていて人の時間感覚は、時間あたりの記憶の密度に比例しているらしい。普段の生活であらゆることをいちいち覚えていたのなら,人間はあっという間にまいってしまうだろう。当然フィルターが働いて,脳が必要だと判断したことのみ通常は記憶されていく。対して、いわゆるピンチに際し、あらゆる情報を利用しようとしたとき、フィルターが外れて「あらゆることが記憶される」ということらしい・・・記憶の密度が、体感的な時間感覚を引き伸ばすことになる。 限られた時間を、全力で使い尽くそうとするなら、細かな情報まで記憶するような味わい尽くすような時間の使い方をすると時間が長く感じられるということらしい。逆にのんびりすると時間が短く感じてしまうのは、記憶すべき事象が少ないがゆえに短く感じてしまうということだ。自分の興味があることに関して様々なアングルから情報を集められる状態を作れるのなら、時間が長く感じられることになる。子供の時間が長いのは、好奇心に満ち溢れあらゆることを真綿に水をしみこませるように記憶として蓄積していく・・・見るもの全てが常に新しいことが沢山あるがゆえに記憶密度が高く結果的に長く感じられるということもあるのかも知れない。・・・そこで、自分の体験とは齟齬が生じているようにも思われる。楽しい時間は短く感じていたし、つまらない時間は長く感じていたということだ。物事はそう単純ではないということだろうか。 また、人間は周りの環境に影響されやすく、速いペースのクリック音を聴き続けていると体内時計自体が速く進み,外界の時間の引き延ばしが行われ処理能力がブーストアップされるという研究もある。人間の脳の処理能力を上げる、まさにベースクロックを上げる、CPUのクロックアップのようなことが起きている。自分の処理能力自体を限られた時間で最大限引き出すことができるのだ。そこで、「象の時間、ねずみの時間」という本を思い出して欲しい。心臓の鼓動の回数で一生の長さが決まってくるというような話だったと思う。心臓の鼓動の回数というものを基準にしたのなら、同じように時間感覚も同じように異なっているということだろう?ベースクロックを心臓の鼓動だと仮定すると、子供のほうが大人より同じ単位時間を主体的な時間でより長く感じているということになる。個々における時間というのは、相対的なものでいくつかの要因によって大きく異なっていることになる。子供の場合、大人よりも時間が圧縮されているのだから,退屈を感じてしまえば、それは大人の比ではない。大人は子供の好奇心を満足させる義務があるし,興味をかきたててやらねばならないとも思うのだ。
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