満月のせいか、こころがざわめく。
困ったものだが・・・ちょっとしたことで右往左往している自分がいる。
そんなときは、決まって半端な時間に目が覚めて、流れていく考えをつらつらと並べてみる。
この世界の中には、様々なシステムが存在する。
力(スカラー)が存在する場所というものもあるのだろう。そこに偶然なのか何がしかのパターンが作られたとしたのなら、ベクトルを持ち機能しはじめることになる。考えてみると、その力が流れる方向というもの決定づけるのは、量子論的な領域というものを考えた場合に、観察されることで決定してしまうのであるなら・・・観察者の意識というものは決して無視できないものだろうと思う。
極端な話、システムが形作られていて・・・スイッチが入っていなかっただけだとしたのなら感知できる人間がいたのなら、観測者が存在することでスイッチが入りシステムが動き出すということもあるのではなかろうか・・・
こどもの時間。おとなの時間。
こどもの行動原理はじぶんの目的があったとすると、あらゆるものは目的のために一時的に忘れさられるか無視されるか正当化される。その時に自分にとって目的以外は重要ではない。結果的にどろどろのボロボロの服装になっても気にしない・・・はたと気がついた時には、手遅れなわけだが・・・それは、自分の価値観に基づいたものではなくて、親の基準に従って比較された問題となり「こどもの手から放れてしまった問題」だろうと思う。
おとなにとっての一般的な目的というものは、自分の価値判断以外のウェイトが大きくなってしまって、外部からどう見えるかとか時にはあまりに瑣末なことにとらわれてしまい、「・・・なってしまったらどうしよう」とか「・・・となったら困る」とか先のことを考えることが多くなる。
ある意味、こどもには「今」しかない。おとなは将来という「未来」を考えて行動する。アングルを変えてみると・・・こどもは「未来という今」を生きていて、大人は因果律の中での「今という過去」をみつめて生きているようにおもう。
こどものような人というのは、じぶんの目的において、他のすべてを忘れることができるような集中力や好奇心だろう。
感情の質量?
感情を計るものというのがあるのなら、なんだろうか?距離の単位じゃないし、速さでも時間でもない。一番しっくりとするのは、重さ・・・それより質量だろうか。力の働き方も似ているような気がする。
感情というものも、近くにいれば強い相互作用を受けるし、たぶん遠くにあっても力は働き続けるのだと思う。質量が大きければ、動き出してしまうとなかなか止まれないのも同じだろう。
きっと、人との相関関係も惑星の動きや星の動きに似ているのかもしれない。そう思うと、見ていた星空のようにきらきらして、何とも美しく、いとおしいものに見えてくる。
そういえば、GoogleEarthの星空は自分の住んでいる場所で表示させると、いまの夜空の様子を映してくれる。東京では見えない星が残念ながら多すぎるけれど、屋根に上ったり地面に寝転がって昔みていた星空を思う。
こころざわめく・・・
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