普段からこんな生活をしていると、世間から遠くにいるような感じがする。「まずいなぁ」と思うこともある。
昨年拾ってきて種をまいた朝顔だとてっきり思い込んでいた白い種咲き出してみると夕方から夜にしか咲かない・・・「はて・・・」朝顔だと思い込んでいたが「夜顔」だったらしい。最近は園芸店などでは、販売戦力的なものなのだろうか「夕顔」として売られていることもあるとか・・・。今の時期はまだ、「冴え冴えとした月」という感じではないがそんな月明かりの下咲いていたのならさぞ美しく幻想的に見えるだろう。
表題の内容はここから、「人の幸せはお金で買えない」とよく云われることだが、お金が無いと得られない幸せというのもあるのは確かだしお金では買えない幸せもある。でも、人間というのはそんなに単純ではないらしい。お金を持っていると普段の幸せに対して鈍くなる傾向があるらしい。幸せの多くは、普段の小さな「ああっビールが美味い・・・」とか「晴天だー気持ちいー」とか「めしが美味い」とか「風呂が気持ちいい」などなどそういったささいな事なわけで・・・けっして、大きなイベントではない。ここで、不幸な考え方をすると「お金を稼ぐ」だけが目的の人は、幸せになるろうとすれば「稼げても幸福感が薄い」ということになってしまう。普段の生活が満たされない分何らかのリスクを伴う刺激的なことに走ったり、より満足するために何とかしようとするのが当たり前の人間だろう。だから、時には「金持ちなのに何が足りないのか・・・」なんでそこまでする必要があったのか?というような行動や事件が起こったりするのだろう。そうしないと、「その人は幸せになれなかった」んだと考えると非常に分かりやすい。世の中には「太った幸せ」と「ふつうの幸せ」があるのだろう。 お金というのは、やはり「楽しんだ結果」入ってくるものでなければ残念なものになってしまう。 それにしても大金を見せられただけで「ちょっとした楽しみ」に非常に鈍感になってしまうという、心理学の実験結果があるが「お金」の象徴する物が人を豊かにしないのは確かなようだ。
「幸せは、いつもちょっと先にある」と言われるけれど、「幸せは,いつも身近にある」ただそれれをそうと感じられなくなってしまうように、その人が変化してしまっただけだ。」お金を必要とすることではない普段はできないちょっとした幸せを感じることというのを、ひとつだけでも持っていたなら・・・そういった事で少しはリセットされるのではなかろうか?そう思いたい。子供の頃のキラキラした世界とまではいかなくとも・・・